1908~1960
9月 セルロイド製造会社8社の合併により、大日本セルロイド株式会社を創立
セルロイド業界は、第一次世界大戦で活況を呈しましたが、戦後恐慌からのセルロイドの世界的な需要減少による過当競争により、業界は疲弊しました。この苦境を切り抜けるため、主要セルロイド製造会社8社の合併が実現し、大日本セルロイド株式会社が誕生しました。当社の誕生はいわば業界再編の先駆けと言えます。(堺セルロイド48%、日本セルロイド人造絹糸21%、大阪繊維工業16%、東京セルロイド7%、その他4社(三国セルロイド・能登屋セルロイド・東洋セルロイド・十河セルロイド)8%の比率)
9月 アセテートプラスチック「アセチロイド」を開発
1月 写真フィルム事業を分離し、富士写真フイルム株式会社(現 富士フイルムホールディングス株式会社)を設立
設立当初からセルロイド事業に続く新規事業として写真フィルム事業への進出を計画。
1928年に東京工場内に写真フィルム生地試験工場(フィルム試験所)を設置し、フィルム生地、感光剤ならびに塗布技術の研究を進め、神奈川県足柄をフィルム製造の最適地と判断して、工場建設に入りました。
将来、写真フィルム事業を大成させるためには、製造面でも販売面でもセルロイドとは異なる取組みが必要であるとの考え方から、1934年にその事業一切を継承する総合写真工業会社として、富士写真フイルム株式会社(現 富士フイルムホールディングス株式会社)を設立しました。
9月 新潟県に新井工場を新設、アセチレン系有機合成事業を開始
1933年に酢酸セルロース事業に着手することを決め、その原料である酢酸などに関して、カーバイドからの一貫生産によって自給し、併せて関連化学品をも開発するという大方針を決定しました。これが現在の有機合成事業の起源です。安価で豊富な電力の供給が得られ、良質で豊富な石灰原石山が近隣にあり、工業用水が豊富にあることから、新潟県新井地区が最適地であるという結論に達し、1935年に新井工場を新設、カーバイドからアセチレン、アルデヒド、酢酸、無水酢酸、酢酸セルロース、酢酸エチル、アセトンと順次製造を開始しました。酢酸セルロースの主原料である無水酢酸の製法は、高純度の製品が製造できるケテン法が採用され、その後、ケテン誘導体などの生産に繋がっています。
1月 網干化工工場河内分工場(現 播磨工場)を新設、無煙火薬の製造を開始
当社の発射薬の製造は、第1次世界大戦下、当時まだ合併前の日本セルロイド人造絹糸株式会社と呼んだ頃の網干工場において、ロシアなどの諸外国からの注文を受け、一時期発射薬を製造したのが最初です。その後、太平洋戦争下において陸海軍の命を受け、製造を行い、戦後、全面的に民需再建用に転換しました。1950年、朝鮮戦争勃発による弾薬の特需があり、発射薬事業が再開しました。1953年、網干工場に隣接する海岸側の土地に発射薬製造の専用工場として網干化工工場を新設しましたが、翌1954年、火薬製造および貯蔵という特殊性にかんがみ、あらたな立地を求めて、網干化工工場河内分工場(現 播磨工場)を新設しました。
8月 堺工場で、たばこフィルター用アセテート・トウの製造を開始
たばこの煙を濾過することによって有害物質を除こうという試みが行われており、アセテートフィルターはたばこの香喫味を損なわずに適度にニコチン・タールを吸着するなどの特徴をもつことから、1951年にアメリカではじめて実用化されました。1956年から日本専売公社(現 日本たばこ産業株式会社)と共同でフィルター・トウの研究開発にあたり、1958年にアセテート・トウの国産化に成功し、量産をスタートさせました。
1961~1999
1月 大日本化成株式会社(現 大竹工場)を設立
1955年7月に通産省から石油化学工業育成対策が発表され、石油化学工業の台頭に対応して、石油化学コンビナートに参画することとなり、1961年に大日本化成株式会社(現 大竹工場)を創設しました。酢酸、ブタノール、メトキシブタノール、酢酸エステル類の製造をスタートさせ、その後生産品目を拡げていきました。設立当時の社員全員が “ON THE SAME BOAT”(一蓮托生)を合言葉に力を合わせて、工場建設に汗を流した苦労話は、「大竹物語」として語り継がれています。
5月 ポリプラスチックス株式会社をセラニーズ社と合弁で設立、ポリアセタール樹脂「ジュラコン®」の製造・販売を開始
1960年にセラニーズ社は独自の共重合法によるポリアセタール樹脂を開発し、企業化を発表しました。1961年にポリアセタール樹脂の製造・販売についての合弁会社設立の検討がはじまり、1964年にポリプラスチックス株式会社を合弁で設立しました。ポリアセタール樹脂の商品名は、耐久性のある硬い樹脂という意味をもつ「ジュラコン®」と名付けられました。
8月 大竹工場で、過酢酸法合成グリセリン企業化
4月 メタノール法による酢酸の製造を開始
酢酸は当社のセルロース事業、有機合成事業の要であり、メタノール法酢酸の事業化は、コスト競争力の強化、安定供給の確保という最重要課題の解決に加え、オイルショック後の国家プロジェクトのひとつであったC1化学の導入に応える、という側面もあり、正に社運を賭けた取り組みでした。当時、最新鋭の製法であった米モンサント社のメタノール法酢酸製造技術を導入し、起工から1年10か月の短期間で世界でも有数の酢酸プラントを誕生させました。竣工時は、年産15万トンの能力でしたが、段階的に製造能力を増強し、現在では年産40万トンを超える規模となり、ダイセルの様々な製品・事業を支える基盤となっています。
4月 光学異性体分離事業を開始
人工的に合成された化学物質には、光学異性体の関係にあるD体とL体という2つの分子が存在します。その2つの分子は化学的性質は等しいものの、医薬品としての生理作用は異なるため、一方は副作用を示す場合があります。1963年から10年にわたり争われた「サリドマイド事件」以降にその分離技術への関心が高まり、当時の大阪大学基礎工学部の岡本佳男助手(現 名古屋大学特別教授)らが、光学活性ポリメタクリル酸トリフェニルメチルおよびこれをシリカゲルに担持した充填剤が優れた光学異性体分離機能を持つことを見出しました。当社はその発明を譲り受け、光学異性体分離機能を持つキラルカラムの開発を進め、事業化に成功しました。いまでは、キラル医薬品等の研究開発、製造や品質保証に不可欠なものとして、世界中の研究者の方々に活用されております。
10月 自動車エアバッグ用インフレータ製造子会社のダイセル・セイフティ・システムズ株式会社を設立
1967年に米イートン社が衝突時の救命装置としてエアバッグシステムを発表し、1969年に米国運輸省高速道路交通安全局(NHTSA)が全車にエアバッグ装備を義務化する法律を提案したことから、実用化に向けた本格的な研究開発が始まりました。当社は1970年代半ばからエアバッグシステムの研究開発をスタートさせ、1988年にインフレータの量産設備を整え、供給を開始しました。2000年以降、米国、タイ、ポーランド、中国、インドと世界各地に生産・販売拠点を設立し、グローバルな供給体制を整えました。
12月 セルロイドおよびアセテート・プラスチックの製造販売会社 上海大申繊維素塑料有限公司を合弁で設立
2000~
10月 社名を株式会社ダイセルに変更
4月 「総合研究所」と「姫路技術本社」を再配置し、「イノベーション・パーク」として集約
従来の「総合研究所」では、新規事業創出や要素技術研究を担うコーポレート研究センターと、既存事業領域における新製品開発やコストダウンなどの検討を担う各事業カンパニーの研究開発部門が混在し、執務室も個別に配置されていました。一方、「姫路技術本社」には、ダイセル式生産革新やプロセス革新などを担う生産技術本部や、当社グループの環境保全・安全確保を推進するレスポンシブル・ケア室、プラントの建設・メンテナンスを担うエンジニアリングセンターが、それぞれ独立して配置されていました。これらの研究開発、生産技術、エンジニアリング、環境・安全などの技術部門を一つのサイトに集約、融合させることで、新事業創出、新製品や革新的プロセス技術研究、高効率の量産設備の開発を加速させています。
10月 ポリプラスチックス株式会社の株式追加取得を完了し、同社を完全子会社化
これに伴い、ダイセル・エボニック株式会社は、ポリプラ・エボニック株式会社に社名変更