1950年~

酢酸セルロース
酢酸セルロース
1950年(昭和25年)からアセテート事業に本格着手し、堺工場にアセテート繊維、網干工場に酢酸セルロース設備、新井工場にカーバイド以降の有機合成品の建設ならびに増設を開始しました。

網干工場で製造された酢酸セルロースは、堺工場の繊維用、網干工場のアセテートプラスチック用に供給されました。また、写真フィルムベースは、安全性の面から硝酸セルロースベースから酢酸セルロースベースに転換、しかもジアセテートでは性状的に不満足なので、性状がより優れたトリアセテートに移行するという富士写真フイルム株式会社(現 富士フイルム株式会社)からのトリアセテート企業化の要請に応え、1953年(昭和28年)から供給を開始し、1958年(昭和33年)にフィルムの不燃化が完了しました。同じく1958年(昭和33年)には堺工場でたばこフィルター用アセテート・トウの製造が開始されました。

また、1953年(昭和28年)には発射薬事業に進出、翌1954年(昭和29年)に網干化工工場河内分工場(現播磨工場)を新設して無煙火薬の製造を開始しました。

このころから日本経済は高度成長期に入り、合成高分子系プラスチックの台頭により、セルロイドは衰退期を迎えることとなります。

1956年(昭和31年)には、プラスチック事業の拡充のため大日本プラスチックス株式会社を設立、プラスチックの加工と用途開発に着手しました。
その頃の社会
サンフランシスコ条約調印(1951年)
9月4日から8日まで、日本が占領下から独立国として国際社会に復帰するための対日講和会議が、米・サンフランシスコで52カ国の代表団が参加して開かれた。
8日、ソ連、チェコ、ポーランドを除く49カ国がサンフランシスコ条約に調印した。日本は千島列島(4島は含まず)と樺太を放棄した。
日本でテレビ放送始まる(1953年)
2月1日、日本ではじめてのテレビ本放送が、NHK東京テレビ局によって開始された。8月には初の民放テレビ局となった日本テレビ放送網が開局、テレビの普及をめざして東京都内など53カ所に街頭テレビが設置された。テレビ放送のはじまったこの年は「電化元年」といわれ、その後、テレビ受像機が一般に普及、開局当時1000台にみたなかったテレビ台数は、1959年には200万台を突破した。