1970年~

メタノール法酢酸製造設備
メタノール法酢酸製造設備
わが国化学工業の成長は、石油化学工業の発展によって達成され、当社でも、石油化学系の各種製品の事業化によって、有機合成事業のウェートが高まっていきました。しかしながら、石油化学工業は、反面「利益なき繁栄」という言葉で象徴されるスケールメリットの追及とそのための借金経営での規模の拡大、過当競争という悪循環に陥っていました。

事業収益の不振と財務体質の悪化から1971年(昭和46年)に「緊急人事措置」で784名(当時の従業員数の約2割)が勇退という結果を招きました。その苦い経験から「人を大切にする」という方針が現在の経営の骨格になっています。
事業については、その後の徹底した収益改善と体質改善の実施により、業容が向上しました。

1974年(昭和49年)、第4次中東戦争が引き金となって、オイルショックが発生し、世界経済を長期不況へと導きました。低成長経済への対応のために当時暫減傾向にあったセロハン事業の見直しを迫られ、 1975年(昭和50年)神崎工場でのセロハン原反の製造を停止しました。

これらと並行して、メタノール法酢酸事業化を推進し、1979年(昭和54年)にメタノール法酢酸の製造に着手、C1化学の具体化へと進んで行きました。
その頃の社会
日本万国博覧会開催(1970年)
日本万国博覧会が大阪で開催され、77カ国と四つの国際機関が参加した。総入場者数は、6,421万8,770人と万博史上最多となった。
沖縄返還(1972年)
5月15日、アメリカの施政権下にあった沖縄諸島が、沖縄返還協定の発効により27年ぶりに日本に返還された。
日中国交回復(1972年)
9月29日、日本と中華人民共和国の国交回復を内容とする日中共同声明が、北京の人民大会堂で調印された。1978年8月には日中平和友好条約が結ばれ、日中関係は強化される。
第1回先進国首脳会議(1975年)
第1回サミットがパリ郊外のランブイエで開かれた。参加国は、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、日本の6カ国。その後、カナダやロシア、EU委員長が参加することになり、主要国首脳会議とよばれるようになった。